語りを通じて忘却に立ち向かう:六燃博物館チームの四日市市訪問、および岡野繁松・出口敦子両氏による戦争記憶の保存・伝承活動の実地見聞
新竹六燃博物館團隊(簡稱「六燃團隊」)於 2025 年 4 月前往日本三重縣,目的是透過實地考察日本第二海軍燃料廠的行動,發掘二燃與臺灣六燃之間的關聯,探尋戰爭留下來的歷史記憶,以及現在的日本民眾如何去面對、記憶這段歷史。在這篇文章中,將分享我們團隊與出口敦子老師訪談的內容。
出口敦子女士曾參與已故岡野繁松先生於 1988 年創立的《談論過去的四日市市》(《舊四日市を語る》)後期編輯工作,該計畫目的為蒐集二戰前市井百姓的生活與想法。在岡野先生逝世後,為延續其遺志,出口敦子繼承了「舊四日市市說故事小組」,並以四日市空襲的經驗為基礎,親自擔任講述者製作影片,更以此榮獲四日市電影節的最高獎項。對出口敦子而言,他期望持續分享戰爭經驗,能向更多人傳達和平的可貴。
2025 年 4 月、新竹・六燃博物館チームは日本の三重県へ赴いた。その目的は日本海軍第二燃料廠(以下「二燃」)で何が行われていたかを現地調査することにより、二燃および台湾の日本海軍第六燃料廠(以下「六燃」)間の関連性を見出し、戦争が残した歴史記憶ならびに現在の日本人が同歴史に対しどのように向き合い記憶しているかついて探ることであった。本文では、我々六燃博物館チームと出口敦子さんとの間で交わされたインタビュー内容について紹介する。
出口敦子さんは故・岡野繁松さんが1988年に創刊した冊子『旧四日市を語る』の後半期の編纂作業に携わり、その目的は第二次大戦前の一般庶民の生活の様子や想いを拾い集めることであった。岡野さんが亡くなった後、その遺志を継ぐ形で出口さんは「旧四日市を語る会」の活動を引き継ぎ、四日市空襲の体験を基に自ら語り手として映像制作を担当し、それにより四日市映画祭の最高賞を獲得するに至った。出口さんは戦争体験を語り継ぐことにより、より多くの人に対し平和の尊さを伝えることを願っている。

図1:岡野繁松さんが冊子『旧四日市を語る』を手に取り語る様子(引用元:出口敦子さん製作の動画「新・『四日市空襲を語り継ぐ』」第1弾)。
■ 岡野繁松先生與「舊四日市市說故事小組」、《談論過去的四日市市》(《舊四日市を語る会》)的成立
出口敦子女士分享,岡野繁松先生原是一名小學老師,退休後才創立「舊四日市市說故事小組」,並出版《談論過去的四日市市》。儘管許多人認為舊四日市市是缺乏文化、歷史的城市,但其實,四日市市曾是東海道旅途中很重要的中繼站。只是在二戰期間遭逢空襲,使整個城市被破壞殆盡,原本的文化脈絡也隨之中斷。因此,岡野先生希望透過製作《談論過去的四日市市》,來記錄並傳承戰前四日市市的生活記憶,平民視角的故事,而非名人或官方的回憶。他也堅持不接受來自市政府、公共機構或基金會的捐助,而是開放徵稿,歡迎任何人投稿分享他們的記憶與故事。
在出口敦子看來,岡野先生是相當有心和有毅力的人,比如他幾乎每年都固定出一本書,直到 2015 年離世前,共完成了 25 冊之多。即使後續他因癌症入住安寧病房,他仍親自彙整稿件、編輯排版,直到交稿給印刷公司為止。
出口敦子女士也回憶,她原本是為視障者朗讀的圖書館志工,因此認識了岡野先生的太太—艶子,並從第 21 冊開始協助「舊四日市市說故事小組」的工作。在與艶子討論過後,她深感這些舊故事與記憶應該讓更多人知道,於是把第 20 冊以後的故事都錄下來,讓視障者也可以透過語音「看到」這些故事,並將故事能被傳遞出去。
▪岡野繁松さんと「旧四日市を語る会」(冊子『旧四日市を語る』)の成立
出口敦子さんが語るには、岡野繁松さんは元々小学校の教員を務め、退職後に「旧四日市を語る会」を設立、ならびに冊子『旧四日市を語る』の刊行を開始した。多くの人が旧四日市市を文化・歴史に乏しい街と認識しているが、実は四日市市はかつて旧・東海道の重要な宿場町の一つであった。しかし、第二次大戦中の空襲により市内全域が壊滅的な被害を受け、それにより昔からの文化的脈絡が途切れてしまった。このため、岡野さんは『旧四日市を語る』の作成を通じ、戦前四日市市の生活に関する記憶、世間的に著名な人々または公的な回想でなく、一般民衆の目線から見た物語の記録・伝承を行うことを意図した。岡野さんは市役所、公的機関または財団などからの資金援助に頼らず、どのような人でも関連する記憶や物語を投稿できるよう広く門戸を開いた。
出口さんから見た岡野さんはとても思いやりに溢れ、また強い信念を持つ人であった。それを表すかのように、岡野さんはほぼ毎年1冊の本を出し続け、2015年にこの世を去るまで合わせて計25冊もの本を発刊した。岡野さんはその晩年、ガンの影響によりホスピスでの入院生活を余儀なくされたが、それでもなお原稿の校正から編集、組版、そして印刷会社に出稿するまでの作業を自らの手で行った。
出口さんの記憶によれば、彼女自身は元々視覚障害者向けの朗読を手がける図書館の音訳ボランティアを務め、その際に岡野夫人の艶子さんと知り合う機会があり、第21集から「旧四日市を語る会」の仕事に助力するようになったという。艶子さんとのやり取りを通じ、出口さんはこれら過去の物語や記憶を更に多くの人に知ってもらう必要があると深く感じ、そのため第20集以降の物語を全て音訳し、視覚障害者でも音声を介してこれら物語を「可視化」できるようにし、更に幅広く発信することを企図した。


図3:冊子『旧四日市を語る』全集
■ 空襲與四日市市
岡野先生在空襲時,其實因為在千葉縣服兵役,並沒有直接經歷四日市空襲。但在日本戰敗,回到家鄉四日市市後,他被整個四日市市都被燒毀的狀態所震驚。據他所述,儘管他們家的房子已因空襲在兩個月前燒毀,但書本化為灰燼時,卻仍然保留了書的形狀。據說美軍最重要的目標雖是要空襲二燃,但實際上,仍是有計劃性地摧毀整個四日市市,先燒毀四日市市周圍地區、切斷逃生路線,再逐漸往中心轟炸。《傳承四日市空襲的記憶》(《四日市空襲を語り継ぐ》)影片中,就提到了許多空襲經歷:有建築物被點燃,一位婦女抱著孩子在街上狂奔,衣服都燒著了,而且 B-29 從空中用機槍掃射。
出口敦子女士的母親,當時僅 20 歲,在空襲當下與家中五名手足一起逃亡,其中年幼的弟弟因病行動不便,只能被安置在推車上,由四名女孩合力推行。事實上,在 6 月 18 日的空襲之前,縱使有人說四日市市因為有第二海軍燃料廠,因此很危險,但大家多半還是正常過生活,甚至因為美國飛機飛往名古屋,以為是名古屋會被轟炸,直到空襲快來臨前,大家才驚覺不妙。
戰後,二燃位於的塩浜地區成為了重化工業區,原本的海水浴場被填海造陸,四日市郊區因此成為日本家喻戶曉的環境公害地點,原居民多已遷走。出口敦子女士雖然也有試著去收集關於工廠裡海軍的戰爭記憶,但當時能記得那些事的人,現在幾乎都不在了。
▪空襲と四日市市
岡野繁松さんは四日市空襲の際、千葉県に出征中であったため、直接空襲を経験した訳ではなかった。しかし日本の敗戦後、生まれ故郷の四日市市に戻った際、岡野さんは四日市市全域が焼け野原と化した状態を目の当たりにし驚愕した。岡野さんから伝え聞くところによれば、同氏の家屋は空襲により二か月前全焼していたが、所蔵していた書籍は灰と化しながらも本としての原型を保ったままであったという。一般にアメリカ軍の最重要目標は二燃を空襲することにあったと言われているが、実際には計画的な四日市市域の破壊が行われ、先ず四日市市の周辺地区を焼き払うことで逃げ道を塞ぎ、そして徐々に市中心部に向かって爆撃が展開された。
『四日市空襲を語り継ぐ』の映像の中では、数多くの空襲経験が語られている───内側から燃え上がる建物、赤子を抱きかかえ着の身着のまま街中を逃げ回る女性、さらに逃げる市民に向かってB-29が空中から機銃掃射を浴びせかける。
出口さんの母親の話によると、当時若干20歳であった彼女は、空襲時家の中にいた兄弟五人で手を取り合いながら一緒に避難したが、年少の弟が病気で身体が不自由だったため、乳母車の上に載せて四人姉妹で力を合わせて押していったという。実際のところ、6月18日大規模な空襲が行われる前、第二海軍燃料廠のある四日市市は危険だという人もいたが、大半の人々は普段通りの生活を送っていた。中にはアメリカ軍機が名古屋方面に飛行するのを見て、名古屋は爆撃されても四日市市は大丈夫と思う人もおり、空襲が始まる直前になってはじめて四日市市も危ない、と皆ようやく気が付くほどであった。
戦後、二燃が存在した塩浜地区は重化学工業地区となり、元々あった海水浴場は埋め立てられた。その結果、四日市近郊は日本で誰もがその名を知る環境公害地となり、同地区住民の大半は他所へ移住していった。出口さんは二燃工廠内の海軍にまつわる戦争記憶の収集作業を試みたものの、当時の出来事を記憶している人々は現在ほとんどいない。

図4:1945年空襲被害に遭った後の四日市市役所前の街並み風景スケッチ(引用元:冊子『旧四日市を語る』第5集)
■ 戰爭記憶與保存
出口敦子女士分享,在進行採訪和剪輯這些故事時,可以體會到沒有人真的想要戰爭,但在國家形塑的集體意識下,讓沒有人敢說出「這不是正確的方向」,進而使人喪失了判斷力,難以明辨是非。因此她認為持續向下一代講述戰爭記憶是相當重要的事情。
考量到年輕世代不太有耐性去閱讀,她選擇以影片的方式,來完成《傳承四日市空襲的記憶》(《四日市空襲を語り継ぐ》)的敘事,並上傳到Youtube線上平台上,來讓影片廣為流傳。
出口敦子也談到,相較於年長者主導,他更會希望能由年輕人,比如國高中或是大學生來製作影片,才能用他們的語言來談論戰爭,並持續將戰爭記憶傳給下一代。事實上,一度在地方雜誌《You 四日市市》伊藤小姐的協助下,他們成功找到高中的影片製作社團參與,甚至分別產出針對高中生與小學生的版本。不過,或許是因為學校擔憂戰爭議題較為敏感,或是擔心學生因此感到心裡創傷,後來就沒再成功聯繫上負責的老師,只好由自己繼續完成。
在這個系列影片上傳 Youtube 之後,四日市市立富州原中學校主動聯絡出口敦子女士,邀請她到校分享。該校學生每屆皆需選定主題進行分組研究,其中一組選擇了「四日市市空襲」為研究對象,邀請活動也恰逢 11 月 3 日校方舉辦的戰歿者慰靈祭。之後,在該小組的畢業發表會上,他們也再度邀請出口敦子去聽他們的研究成果,可見戰爭記憶有逐漸被下一代記憶和保存下來。
談及歷史記憶的保存,出口敦子老師坦言,隨時間推移,越來越難收集到更多的資料,但她深信還有許多珍貴的資料、記錄、故事埋藏在民間之中。而這是我們這一代人的責任,去將這些記憶挖掘、傳承下來,也正如六燃團隊正在努力的一樣。
在訪談的最後,出口敦子向我們提供了「舊四日市市說故事小組」的《談論過去的四日市市》第一冊至二十五冊書籍複本 (除了第 1、2 冊、第 11、12 冊為缺失書冊),她希望新竹六燃團隊能好好利用這些資料,繼續傳承《談論過去的四日市市》的精神。除此以外,出口敦子也提供了「舊四日市市說故事小組」與四日市市富洲原中學校的互動成果報導複本。對於六燃團隊而言,我們除了傾聽在二燃這邊的戰爭記憶,也互相交流、討論如何去保存並傳承這段珍貴的記憶,以期痛苦的戰爭不再上演。
▪戦争記憶とその保存
出口敦子さんによれば、インタビューを行いそれらの物語を動画編集する過程で、誰も本当は戦争を望んでいないことが感じ取れるという。しかし、国家により形作られた集合的意識の下で、誰も「この方向は正しくない」と声に出すことが出来なくなり、やがて人々の物事の是非を問う判断力は失われていった。そのため、出口さんは下の世代に向けて戦争記憶を語り続けることはとても重要なことであると捉えている。
若い世代が読書など活字を敬遠していることを鑑みて、出口さんは動画の方式を採用して『四日市空襲を語り継ぐ』の叙述を完成させ、更にYoutube上でオンライン公開することにより、同動画が幅広い聴衆層に視聴してもらえるように図った。
出口さんは、年長者が語り手として活動を主導するよりも、むしろ中高生や大学生など若い世代の手で動画作成が行われることにより、彼ら自身の言葉で戦争について語り合い、更に戦争記憶をそのまた下の世代へと伝え続けていくことを望んでいる。実際に以前、四日市市のタウン情報誌『Youよっかいち』記者・伊藤陽子さんの助力の下、動画制作に協力する意向のある高校の映像クラブを見つけ出し、高校生・小学生それぞれを対象とした動画作成案を提起してもらったことがあった。しかし、戦争に関する話題が物議を醸し出す可能性について学校側が憂慮したためか、あるいは戦争記憶を追体験した生徒達が心理的に傷つくことを心配したためか、後日責任者である先生と連絡が取れなくなり、最終的に出口さん自らの手で動画を完成させるしかなかったという。
これら一連の動画がYoutube上で公開された後、四日市市立富洲原中学校から出口敦子さん宛に、是非学校に足を運んで話を聞かせてほしいとの連絡が届いた。同中学校では入学時から三年間、生徒各自の選択した主題に基づいたグループ・ワークが行われているが、その中の一つのグループが研究対象に四日市空襲を選んだためである。出口さんを招いての活動は、11月3日同グループが毎年参加する戦没者慰霊祭と日を同じくして行われた。その後も、卒業発表会の場で、同グループの生徒らは再び出口さんを招待して研究成果を披露する機会を設けた。戦争記憶が徐々に下の世代へと記憶・保存されていく様が垣間見られる。
歴史記憶の保存について話が及ぶと、時間の流れと共に多くの資料を収集することは困難になる、と出口さんは率直に語る。しかし出口さんはそれでもまだ多くの貴重な資料、記録、物語が民間の中に埋もれたままになっている、と確信している。そしてこれこそが我々の世代が果たすべき責任であり、これらの記憶を掘り起こし伝え続けていくことは、六燃博物館チームが今まさに取り組んでいる方向と軌を一にする。
インタビューの終わりに、出口さんは「旧四日市を語る会」刊行の冊子『旧四日市を語る』第1集から第25集までの複本(欠本の第1、2、11、12集を除く)を我々に提供し、六燃博物館チームがこれらの資料を活用し『旧四日市を語る』の精神を引き継いでいくことを望んだ。そのほかに、出口さんから「旧四日市を語る会」と四日市市立富洲原中学校の合同研究成果に関する記事のコピーを提供して頂いた。我々新竹・六燃博物館チームにとって、二燃に関する戦争記憶に耳を傾けるだけでなく、互いの交流を通じていかにこの貴重な記憶を保存・伝承し、悲惨な戦争を再び起こさないようにするかについて議論する格好の機会となった。

図5 : 出口敦子さん(写真中央)が六燃博物館チームのインタビューを受け、四日市市および戦争記憶にまつわる経験を語る様子。
訪談對象:出口敦子
訪談日期:2025年4月24日
訪談者:六燃博物館團隊,賴雯淑教授
口譯:井早智代
訪談整理:勞泓理
撰稿:許明宸
日文翻譯:長友剛輝
校稿:勞泓理 、長友剛輝
圖片來源:六燃博物館團隊攝影
インタビュー対象者:出口敦子 ATSUKO, DEGUCHI
インタビュー実施日:2025 年 4 月 24 日
インタビュアー:六燃博物館チーム,賴雯淑教授 Pro.f WEN-SHU, LAI
通訳:井早智代 TOMOYO, IHAYA
インタビュー記録の整理:勞泓理 HONG-LI, LO
執筆:許明宸 MING-CHEN, HSU
日本語訳:長友剛輝 GOKI, NAGATOMO
校正:勞泓理 HONG-LI, LO、長友剛輝 GOKI, NAGATOMO
画像出典:六燃博物館チーム撮影
相關連結 / 本文内容に関連する参考資料:
- 延續四日市空襲的記憶(新・「四日市空襲を語り継ぐ」)出口敦子製作:
第一弾 https://www.youtube.com/watch?v=U3-QdUCfa8c