空襲之下的軍事工業遺構:地下工場與戰爭的記憶敘事

空襲下の軍事工業遺構:地下工場および戦争にまつわる記憶叙述


岩脇彰先生自國小教師退休後,持續以三重縣歷史教育者協議會研究者的身份投入地方史與戰爭遺址調查,並彙整出版《三重戰爭相關遺址》(『 三重の戦争遺跡』),在地方歷史和遺址探勘等研究領域有頗多的貢獻。本次訪談與踏查聚焦於日本三重縣龜山市關町山區的海軍地下工場遺構。這些遺跡不僅是戰時工業化建設的證據,更是理解日本末期軍需體系、分散化生產策略與殖民地勞動動員,以及戰後記憶再形塑的重要線索。

岩脇彰さんは小学校教員を退職した後、三重県歴史教育者協議会の研究者として地方史および戦争遺跡の調査に携わり続け、また『三重の戦争遺跡』を編纂・出版するなど、地方歴史および遺跡探査などの研究領域にて大きく貢献されてきた。この度のインタビューと実地調査は、三重県亀山市関町の山間地帯に位置する海軍地下工場遺構に焦点を当てたものである。これらの遺跡はただ戦時工業化の中で進行した建設工事状況を示す証拠としてだけでなく、さらに日本の戦争末期における軍需供給体系、分散化生産計画、植民地からの労働力動員、ならびに戦後記憶が再形成される過程を理解する上で重要な手がかりとなる。

隱匿於山林的軍事工業遺址與保存

龜山市關町地下工場是日本戰爭末期「疏開工廠」政策的一部分。自 1943 年起(昭和 18 年),在空襲加劇之下,日本海軍逐步將沿海軍工設施轉移至山林,以地形掩護維持航空武器的生產能力。反映出戰爭末期戰略,以「疏散化、地下化、分散生產」,因而維持航空戰力。關町地下工場負責製造飛機機槍與子彈,屬海軍航空兵器體系的武器端;四日市第二海軍燃料廠則負責航空燃料供應,是飛機升空的能源端。兩者雖分屬不同體系,但在戰時工業網絡中形成高度互賴關係:無燃料則無法起飛,無武器則無法作戰。從現存遺構和岩脇先生的講述,可窺見當時軍事工業擁有龐大的規模。

這座地下工場群共十四條坑道,其中部分以橫向通道相互連結。參考自官方網站資料,左邊為西側坑道完工度高,部分當時已投入運作;右邊東側坑道則因因戰況惡化而停工。今日的關町地下工場遺址仍可辨識十四條坑道入口、彈藥製造所需的燒水設備與水槽、以及當時運輸物資的道路痕跡。岩脇彰先生指出,這些地下壕具有保存價值,但由於地下工場長期受潮與坍塌,保存需在「真實性」與「安全性」之間取得平衡,這也是日本各地地下工場普遍面臨的課題。

岩脇先生提到,近年地方政府改善步道與設置導覽資訊牌,其中岩脇先生協助了資訊牌的地點設置。他回憶三十年前首次進入坑道時,遺址尚無保護措施,可看見戰後長期閒置狀態的遺構。戰後日本多以民生與產業重建為優先,這些遺構也未對大眾生活構成影響,使許多軍工遺址未被納入文化資產,直到近年軍工遺址研究興起,這些遺跡才逐漸被重新看見。


山林中に隠された軍事工業遺跡とその保存

亀山市関町の地下工場は、日本で戦争末期に採られた「疎開工場」政策の一部分である。1943年(昭和18年)以降、空襲の影響が日増しに拡大する中、日本海軍は徐々に沿岸部の海軍工場設備を山林地域に移転し、その防護に適した地形を利用し航空兵器の生産能力維持を図った。これは、「疎開化・地下化・分散生産」により航空戦力の維持を目的とする戦争末期の戦略を反映したものである。関町地下工場では主に航空機の機銃および銃弾製造が行われ、海軍航空機生産体制の兵器生産の一端を担った。一方、四日市市の第二海軍燃料廠は航空燃料供給を目的とし、航空機を飛行させるために必要なエネルギー資源供給の一端を担っていた。両者はそれぞれ異なる体系に位置づけられるものの、戦時工業の枠組の中では互いに密接な関係で結ばれていた。すなわち、もし燃料が無ければ航空機を飛行させることは出来ず、またこれら兵器が無ければ戦争を遂行することは出来ない。現存する遺構群および岩脇さん自らの解説を通じ、当時の軍事工業がどのくらい膨大な規模を擁していたか伺い知ることが出来る。

同地下工場群は計14本のトンネルにより構成され、各トンネルは横方向の通路によって互いに連結されている。公式ホームページ上の資料によれば、その左側は西側トンネルとして比較的完成度が高く、一部は当時すでに実際に運用されていた。一方、右側の東側トンネルは戦況の悪化に伴い工事が中断された。今日の関町地下工場遺跡では今なお14本のトンネル入口、弾薬製造時必要なボイラー施設や貯水槽、および当時資材運搬に用いられた道路の痕跡を確認することができる。岩脇さんの指摘によれば、これらの地下壕には保存価値があるものの、地下工場が内部の湿気や崩落の影響を長期間受けてきたため、その保存に際しては歴史的な「真実性」と「安全性」の間でバランスを保つ必要があり、これは日本各地の地下工場が等しく直面している課題である。

岩脇さんによれば、近年になり地方自治体が歩道の修繕や案内情報板の設置に取り組み始め、岩脇さんも案内情報板の設置位置に関し協力を行った。岩脇さんの記憶によれば、30年前初めてトンネル内に進入した時、同遺跡は未だ保護工事が施されておらず、戦後長期間放置されてきた遺構であることが見て取れたという。戦後の日本は市民生活および産業の復興を優先してきたため、これらの遺構は一般市民の生活に大きな影響を与えることは無く、多くの軍事工業遺跡は未だ文化的資産として公認されていない。近年になり軍事工業遺跡に関する研究状況が進展したことにより、これらの遺跡は再び徐々に注目を集めるようになっている。

戰爭之下,勞動力的口述歷史

在前往龜山市關町地下工場遺址的途中,經過一間びっくりや韓國燒肉店(Bikkuriya)時,岩脇先生提到,周邊自戰時起便居住許多朝鮮移民,而燒肉店主家族亦曾參與地下壕工程。今日的燒肉店景觀因此成為追索戰時勞動動員的重要線索。

地下工場的掘削工程由日本大型營造公司「間組」承包,實際施工多倚賴朝鮮籍工人。他們以「飯場(Hanba)」集體生活,由「飯場」的領頭承包工程並負責管理與食宿。此制度是殖民地皇民化後的結果,朝鮮人被視為「二等公民」,就業不平等與生計壓力共同作用下的「半自願」勞動。離開飯場意味失去住宿與基本生活來源,使工人難以拒絕高風險工作,也很少有逃走情況。此現象反映了戰爭末期日本軍需生產中常見的「企業承包與族群勞工」動員特徵。

岩脇彰先生向我們講述韓國燒肉店老爺爺的回憶,為挖掘節省材料,工程中常縮短導火線,使放置炸藥後的逃離時間極為有限,以及坑道內濕氣厚重、岩石鬆動,加上長達十二小時的輪班,使許多工人罹患呼吸系統疾病。

地方官方網站上另一份 1945 年的口述資料則補充了更具體的作業方式:每條坑道約十名朝鮮籍工人分工進行鑽孔、放置炸藥與運出土石。爆破後需在坑外確認聲響,但仍可能發生延遲爆炸,安全條件並不穩定。坑道內鋪設鐵軌與礦車以便運輸,但因岩質鬆散,前一日完成的掘削工程隔日坍塌的情況時有所見。雖然這位日本工人提到自己未目睹重大傷亡,也認為朝鮮工人多半持續工作、未見反抗。綜合岩脇先生的說明與多份口述紀錄,可見關町地下工場的施工高度依賴朝鮮勞工,他們承擔了最危險、最消耗身體的一線作業,勞動條件與選擇空間皆深受殖民地制度所形塑。

戦争下での労働力にまつわるオーラル・ヒストリー

我々一行が亀山市関町の地下工場に向かう途中、韓国焼肉店「びっくりや」の前を通り過ぎた。岩脇さんが語るところによれば、同店の周辺には戦時期より朝鮮半島からの移民が多数居住し、焼肉店の家族もかつて地下壕の建設工事に携わっていたという。今日の焼肉店の景観は、戦時中の労働力動員状況について追究する上で重要な手がかりとなっている。

地下工場の掘削工事は日本の大手建設企業「間組」によって請け負われ、実際大部分の工程は朝鮮籍労働者の手により担われた。彼らは「飯場(はんば)」と称される集団生活を送り、「飯場」集団の首領が各工事現場を受け持ち、同時に労働者の管理や食事・宿舎について差配していた。この制度は日本植民地における皇民化政策の結果であり、朝鮮人が「二級市民」と見做され、就業格差や生計の逼迫などの諸要因が共に作用した「半自発的」な労働形態である。「飯場」を離れることは住まいと基本的な生活資源の喪失を意味したため、労働者が高い危険を伴う作業を拒むことが困難となり、また逃亡を図る事例も少なかったという。このような現象は、戦争末期日本の軍需生産過程の中でしばしば見られる、「企業請負および移民労働者」による動員方式の特徴を色濃く反映している。

岩脇さんが我々一行に語った韓国焼肉店の年配男性の記憶によれば、掘削に際し資材を節約するため、作業の中で導火線の長さを短縮することがよく行われ、これにより爆薬を設置した後避難する時間が極端に限られていたという。またトンネル内部は湿度が高く、岩盤も脆く、加え最長12時間に及ぶ交代制の作業により、多くの労働者が呼吸器系の病気に罹ったという。

同地域の公式ホームページ上には、1945年に作成された別の口述資料が掲載されており、そこでは更に当時の具体的な作業方法を知ることができる。各トンネルでは約10人の朝鮮籍労働者が、穿孔・爆薬設置・土砂の搬出などの作業をそれぞれ分担して行っていた。爆破後はトンネルの外でその爆発音を確認する必要があったが、それでも予期しないタイミングで起爆する可能性があり、安全性の面でも問題を抱えていた。トンネル内は運搬を捗らせるため鉄軌道やトロッコが整備されていたが、岩質が脆く崩れやすいため、前日に掘削を完了していた箇所が翌日には崩落しているような状況もしばしば発生したという。同資料中の日本人労働者の説明によれば、大規模な死傷事故を自身が目撃したことは無く、朝鮮籍労働者の多くは作業に従事し続け、彼らが反抗する様子も見たことが無かったという。岩脇さんの解説および各種口述記録の内容を整理すると、関町地下工場での工事は朝鮮籍労働者の労働に依存するところが大きく、これら朝鮮籍労働者が最も危険かつ体力を消耗する第一線での作業を担い、その労働条件や空間的配置も、植民地制度が形作ったものの影響を強く受けていたことが見えてくる。

圖五:韓國燒肉店前。
図五:韓国焼肉店前。

戰爭遺址轉化為生動的記憶敘事

「物件本身無法發聲;唯有透過與之『對話』的過程,歷史意義才能被喚醒並引起情感共鳴。」岩脇先生認為「遺址」與「敘事」的結合最具教育意義。實際目睹地下壕的規模與環境往往比單純聽故事更具衝擊,而當空間經驗與口述歷史相互結合,更能將沉默的物件轉化為可讀的歷史。

岩脇彰先生認為,戰爭遺址的價值不僅在於物質保存,更在於其能讓抽象歷史透過空間經驗被具象理解。他指出,日本教育體系長期以「空襲受害」為主要敘事,較少提及加害行動、殖民地動員與區域性軍工體系,使年輕世代難以全面理解戰爭。雖然自學是理解這些歷史的途徑,但缺乏情感連結使多數人難以主動投入。然而,地下工場遺址所呈現的空間特質,包括地下壕道狹窄、潮濕的空氣與地形帶來的壓迫感,能提供教科書無法替代的直接經驗,使學習者更能理解戰時軍工體系的具體運作。

在教育實踐上,岩脇先生指出,日本校內並未禁止教師教授世界戰爭史,但大多數教師因缺乏相關訓練,而難以在課堂中展開系統性、深度性的教學。他本人雖經常受邀至中小學與高中授課,但一日課程難以完整性地分享。這些現實限制使戰爭與和平教育往往只能停留在概述性層次和片面敘事。岩脇先生同時提醒,直接呈現殘酷影像可能造成心理陰影,建議以循序理解方式引導學生認識戰爭暴力,也為學習者預留足夠空間去反思戰爭後果與和平的重要性。

戰爭遺址的價值,不只在於其帶來的震撼,更在於它能持續促使人們理解歷史、反思經驗,並在過程中形成深刻而長久的記憶。

戦争遺跡が生きた記憶叙述へと変容する

「物それ自体は声を発することはないが、物と『対話』する過程を通じてのみ、その歴史的意義が呼び覚まされ人々に共感をもたらすことができる」。岩脇さんは「遺跡」と「語り」の両者を結びつけることが、最も教育的な意義を持つと考えている。実際に地下壕の規模や環境を目の当たりにすることは、単に話を聞くことよりも往々にして大きなインパクトを与え、そのような空間の経験とオーラル・ヒストリーを互いに繋げ合わせることで、沈黙する物を人々が理解することの可能な歴史へ生まれ変わらせることが出来る。

岩脇さんは、戦争遺跡の価値はただ物質としての保存に留まらず、その空間の経験を通じて抽象的な歴史を具体的に理解させてくれる点にあると捉えている。岩脇さんによれば、日本の教育体系は長らく「空襲被害」を中心に語り続け、自国の加害的行動、植民地動員、地域規模での軍事工業体系について触れることが少なく、若い世代が全面的に戦争について理解することを難しくしているという。もちろん、自分個人で学ぶことはこれらの歴史を理解する上で必要な過程であるが、もし多くの人々の心情に響かなければ、それぞれが主体的に学ぼうとすることを困難にする。そこで、狭い坑道や内部の湿った空気、および地形がもたらす圧迫感など、地下工場遺跡が持つ空間的な特質は、教科書では代えられない直接的経験をもたらし、戦時の軍事工業体系の具体的運用状況について更によく理解させてくれる。

教育の場での実践面に関し、岩脇さんによれば、日本の学校では教師・教授が世界の戦争史を教えることについて特に禁止していないものの、大部分の教師が関連する専門的教育経験に乏しいため、体系的かつ深く掘り下げた教育を授業で行うことが困難であるという。岩脇さん自身もたびたび小学校・中学校・高校から授業のために招かれる機会があるが、一日だけの授業ではまとまった内容を教えることは難しいという。これらの現実的問題は、日本の戦争および平和教育が往々にして大まかな要点のみを捉えた水準、ないしは一方向に偏った叙述に留まることを余儀なくさせている。岩脇さんは同時に、残酷なイメージを直接見せることで見る側が心理的トラウマを持つ可能性についても指摘し、順序に沿った理解方法により学生が戦争暴力について正しく認識するようにし、戦争のもたらす結果や平和の重要性について学ぶ者が自ら省察する余地を十分に与えることを提言している。

戦争遺跡の持つ価値は、ただ驚きや衝撃を人々に与えるだけに留まらず、人々に歴史を理解し、過去の経験を振り返ることを促し続け、その過程の中で深く刻まれ、かつ長きにわたる記憶を形成するところにある。

圖八:岩脇彰先生分享他所編輯的文史網站。
図八:岩脇彰さんが自身の編集した地方史ホームページを紹介する様子。

訪談對象:岩脇 彰 

訪談日期:2025 年 4 月 27 日

訪談者:六燃博物館團隊 ,賴雯淑教授

口譯:井早智代

訪談整理 / 撰稿:勞泓理 

日文翻譯:長友剛輝
校稿:勞泓理、長友剛輝

圖片來源:六燃博物館團隊攝影 

相關資料參考:

  1. 三重的戰爭遺址,網站編輯:岩脇彰。https://miesensoiseki.jimdofree.com/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%B7%A5%E5%BB%A0-%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E7%87%83%E6%96%99%E5%BB%A0/
  2. 龜山市考古篇,關町的地下工場(地方官方網站)
    https://kameyamarekihaku.jp/content/suzukanoseki/shousai.html

インタビュー対象者:岩脇彰 AKIRA, IWAWAKI
インタビュー実施日:2025 年 4 月 27 日

インタビュアー:六燃博物館チーム,賴雯淑教授 Pro.f WEN-SHU,LAI

通訳:井早智代 TOMOYO, IHAYA

インタビュー記録の整理/執筆:勞泓理 HONG-LI, LO

日本語訳:長友剛輝 GOKI, NAGATOMO

校正:勞泓理 HONG-LI, LO、長友剛輝 GOKI, NAGATOMO

画像出典: 六燃博物館チーム撮影

本文内容に関連する参考資料:
1. 三重の戦争遺跡(ウェブサイト編集:岩脇彰)
https://miesensoiseki.jimdofree.com/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%B7%A5%E5%BB%A0-%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E7%87%83%E6%96%99%E5%BB%A0/

2. 亀山市考古編 関町の地下工場(亀山市公式サイト)
https://kameyamarekihaku.jp/content/suzukanoseki/shousai.html